「見る」と「観る」の違い(悟りの道)その2
前回、意識の流れの基本をごく単純化して提示しました。2回目なので、やや肉付けしてみましょう。
①対象を知覚、体験、想像し、感情表現する(感じるの世界)
②認知、認識、思考、意味づけをして価値判断する(考察の世界)
③分類、分析、理解して概念・原理化する(観るの世界)
※いきなり、いろんな概念のオンパレードで面食らった方もいると思いますが、ゆくゆく説明しますので、お許しを。また、ほんとはこのようにすっぱりきれいにわけられず、重なったり、行きつ戻りつうろうろする人の意識の世界ですが、ものごとの本質を分析・理解するためには、まさに③のはたらきを適用して「分類して」考えようと思います。
われわれは通常上記のような意識世界に生きており、世の中のあらゆる問題はこの意識世界で解決できると思い込んでいる割には、ほとんど解決できずにいます。優秀な人類の思考をもってして、何で理想の世の中が実現できないのか、世間で成功しても大金持ちになっても何で気が休まらないのか、何で小さないさかいから大きな戦争までエゴがぶつかり合うのか。。際限がなくなるので、やめておきます。
本筋に戻します。なぜこのように分けてみたかというと、①から③にかけての、それぞれの意識の働き(これは分別の世界)以前に、たとえば①のような「感じるの世界」があらわになる直前に、
◆すべてのものを見ているけれど、何も見ていないような状態。
◆聴覚的にも、すべての音が等価である状態。
といった、世界が”一緒くた”になる世界があります。
先ほど意識の世界は「分別の世界」といいましたが、まさに「無分別の世界」です。以前、鎌倉建長寺のお坊さんはこの辺の消息を「世界が一緒くた→差がない→差を取る→さとり」などといってましたが。。、
つまり、最終的には意識世界①、②、③各々について、それ以前(トランセンデンタル?)の世界があることを言いたい為なのですね。
これを、「感ずる」に対して「直感」
「考察する」に対して「洞察」
「観ずる」に対して「直観」
というワードを充ててみたいと思っています。
いかにも意識の下で分別的に働いているように思われますが、実は、対象と一体化した上での心の働きだと考えています。
いわば、意識に対して非意識(あくまで無意識ではない)
以上を、トリニティー図(ボロメオの輪、三位一体モデルといってもいいか)にして提示します。じつは、これが無意識を含めたこころの構造なのです。
死したか もとい 獅子鷹
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