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ジャンケンは哲学を超える?

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ジャンケンは、二人以上の人間間における恨みっこなしの物事の決着方法である。二人またはそれ以上の人間で各々がグー・チョキ・パーの何れかを慎重に決め(あるいは直感的に、はたまた無意識に)「ジャンケンポン」の掛け声とともに同時に出すのである。
グーはパーに負け、パーはチョキに負け、チョキはグーに負ける。
これをグー→パー→チョキ→グーと表すことにする。

ジャンケンは、物事を決める際の最も素朴な決め方である。なにしろ、何も要らないのである。しかも、後腐れが残らない。欧米のコイントスは、コインが要る。サッカーなどでは審判が介入する。阿弥陀くじには紙と鉛筆とはしごの複合体のようなアミダ線を引く必要がある。ジャンケンはいきなり勝負をはじめ、いきなり物事が決着する。あまりに単純なので、「もう一回」とか「5回勝負」などの付加ルールはあるが、原理は同じである。なんと単純かつ普遍性を備えたルールであることか。

「最初はグー」といって始める。なぜ?と大真面目に考えてみる。
すると、思ってもみなかった普遍性を発見してしまったのだ。
それは、こうだ。

グーから連想されるのは、丸い地球ではないだろうか、と私は考えた。母なる地球・大地は人間をはじめとする生命を生み育む力の象徴である。グー=地球=母の連想。赤ちゃんは、手のひらをグーにして、全身をグーにして、グーなる母親の子宮から生まれてくる。まさに、「最初はグー」ではないか。

そして、すぐさまに、生きることの喜びを全身に表して(生を全開にして=パーの象徴)母親の母乳をむさぼり、吐き、またむさぼる。これ即生命力の塊。

そのうちに、ラカンのいう鏡像段階を経て、ものごころがつくと、指を意識的に使うようになる。人指し指、薬指などのように、指の名称そのものが、使う目的の象徴になるものもあるくらいである。かくして、人差し指と中指2本を同時に突き立てて「チョキ」を表す。
 
なんと、グー→パー→チョキは人間の成長段階に対応していたのである。

そして、チョキを駆使して、人は人生を全うし、やがて死んで大地に還る。そう、全てを包み込む母なる地球・大地(グー)へ。

グー→パー→チョキ→グーの関係の完結である。


どんなに完成された哲学(もちろんチョキ)も、自然やモノ(グー)にはかなわないと、ジャンケンのルールは言っているのである。なんと、ジャンケンは洞察力に富んだ超哲学であったのだ。

獅子鷹

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