« 「ゆるす」ことが幸せへの近道 | トップページ | 龍安寺の石庭の意味とは?(その2) »

龍安寺の石庭の意味とは?

京都龍安寺といえば石庭である。ユネスコの世界遺産にも登録され、海外にも禅庭園として名高い。京都観光の定番でもあるこの石庭は、だれでも一度は行ったことがあるのではないだろうか。私も中学、高校の修学旅行で2度訪れたことがあるが、禅やら枯山水やらの本当の意味がまるでわからず、ふーんこんなものかといった程度の印象であった。

その後、一度も行ったことはない。しかし、禅の意味やらがようやく分かりかけてきたこのごろ、また行ってみたいという気もするし、いや、行く必要はないような気もする。ここの心境がまたややこしいところだが。

東西25メートル、南北10メートル。三方を築地塀にかこまれ、一面の白砂に異形の石15個が無造作に?配置してあるだけである。この天下の名園は、古今の研究家が様々な解釈を試みている。曰く「中国の故事、虎の子渡しの表現である」、曰く「どこから見ても1つは隠れるようになっている。残りは心眼でみよ」「どこから見ても同じ景色は一つとしてない。だから人間は真実をみることはできないのだ」等々。。方丈の縁側に腰掛けると、一目で石庭全体が視覚に入る。いわば小宇宙とみたてて自己を没入させるというわけである。

「しかし、案内表示に逆らうわけではないが、龍安寺は参道左に広がる「鏡容池」から巡りたい。寺の歴史の経緯をこの池庭から振りかえるのと目当ての「石庭」に思索の時間をたっぷり残しておく意味でも・・・・。」(小学館ウイークリーブック 日本庭園をゆく 2 より)

縁側に腰掛け、たっぷり「思索」するのもよい。そもそもこの枯山水の石庭は、高度に抽象的な表現だ。ベースとなる砂紋は大海原をあらわし、整然と平行に描かれる。これが15個の石組に近づくと、微妙な波紋となり、石の島に打ち寄せるかのようである。

これは、なにを意味するのか。「思索」してみよう。(つづく)

|

« 「ゆるす」ことが幸せへの近道 | トップページ | 龍安寺の石庭の意味とは?(その2) »

心と体」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

思考」カテゴリの記事

哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 龍安寺の石庭の意味とは?:

« 「ゆるす」ことが幸せへの近道 | トップページ | 龍安寺の石庭の意味とは?(その2) »