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龍安寺の石庭の意味とは?(その3)

この地球上で「一生懸命生きる」ことは「煩悩であり、幻想なので」意味はないと言い切る人も有名な仏教学者などにもいる。「人生はもともと意味などないのだ」と。

ほんとうに、そうなのだろうか。

「物質(マテリアル)」は、実に多様な意味を含む概念である。マクロでは「もの」「自然」「宇宙」「森羅万象」などと言い換えることもできる。ミクロでは、「素粒子の離散集合」とでもいうのだろうか。一般的には、「熱力学第二法則」にしたがい、閉じた系であれば系内の物質のエントロピー(乱雑さ)は増大する。すなわち、形あるものは崩壊し、濃度の差異があれば最終的には混ざり合い均一化する方向に物事は進行する。(宇宙は閉じた系か?膨張しつづけるか、いずれ収縮に転ずるか?といった議論は措く)

ところが、わが地球には「生命体」なるものが存在する。人を含む動物・植物・微生物・ウイルスなど有機物である「生命体」は何の因果か、エントロピー増大に抗い、DNAを持ち、DNAによる自己複製・動的平衡によりエントロピーが平衡を保つように振舞うという。ところが、生命体もからだという「物質」を有するのだから、自己崩壊という矛盾を内包しつつ生命を維持していることになる。生命体は日々・刹那に細胞レベルで新陳代謝を繰り返しながら老化をたどり、やがて個体としては死を迎えるが、DNAにより種は再生されるのである。

このことは、有機物である「生命体」と無機物である物質が対立関係にあるということができないだろうか。これは、何を意味するのだろうか。

ここで、石庭にもどる。

上述は、

「大海原」=「無機物=物質」

「15の石」=「有機物=生命体」


と構造化できないだろうか。 (つづく)

獅子鷹

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