「見る」と「観る」の違い(悟りの道)その4~知覚系非意識~
だいぶ間があいてしまい、失礼しました。さて、いよいよ、「悟り系」??について仮説を進めてみます。まずは、左図をよく見てください。前回の「無意識系」と「意識系」の中間に「非意識系」をピンクで挿入しています。左側のボロメオの輪のうち、無意識系Rと意識系(I(感) → I-S(察) →S(観))の重なり合う部位(R-I → R-I-S →S-R)が「非意識系」です。意識系がわれわれの心に立ち現れる(つまり、現象として分節化・差異化・非対称化される)以前の、「世界がいっしょくた」の差異のないいわば平等の世界、つまり、対称性を備える(現象前のこの段階で、現象後に分節化する対象はすべて同じ資格をもつという意味、すなわち入れ替え可能)というのが、この「非意識系」です。
初回に、「つまり、最終的には意識世界①、②、③各々について、それ以前の世界があることを言いたい為なのですね。
これを、「感ずる」に対して「直感」 「考察する」に対して「洞察」
「観ずる」に対して「直観」
というワードを充ててみたいと思っています。
いかにも意識の下で分別的に働いているように思われますが、実は、対象と一体化した上での心の働きだと考えています。
いわば、意識に対して非意識(あくまで無意識ではない) 」と書きました。
これを、上図の「非意識系」のマトリクスに入れてみました。
これは、以下の「こころのメタプロセス」(と名づけます)にあてはめますと、2.「受:知覚系」に対応しています。
【こころのメタプロセス】
1.「色:現象系」=外部データを入力する(自然界、他人に接する)
「識:想起系」=内部データを読み出す(記憶、知識を想起する、生理欲が起こる)
2.「受:知覚系」=データをメモリに記憶する
3.「想:表象系」=プログラムに従って演算回路で演算を行う
4.「行:判断系」=演算の結果を確定する
5.「色:表現系」=外部へデータを出力する(身・口・意で外へ働きかけを行う)
「識:記憶系」=内部記憶装置へデータを書き込む(経験知として記憶する)
つまりこころのメタプロセスにおいて、「色(現象系)、識(想起系)」でRリアルとの「(接)触」がまずあり、次にこころのうち「受」:知覚系(INPUT)が生起し、まず非意識系の直感→洞察→直観の流れを介して意識系の知覚→認知→分類に表面化するわけです。(なお、カントは「純粋理性批判」でここでの「直感」に「直観」の文言を当てているようですが)
まとめると、
リアル(環境、自分)【色(現象系)、識(想起系)】
↓ ↓ ↓
直感→洞察→直観【非意識系の受(知覚系)】
↓ ↓ ↓
知覚→認知→分類【意識系の受(知覚系)】
という関係に整理できます。
では、「想」(表象系)と「行」(判断系)はどうなるのでしょうか(上図?の部分。)
(つづく)
獅子鷹
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