「見る」と「観る」の違い(悟りの道)その6~判断系非意識~
最後は、「行:判断系非意識」です。「こころのメタプロセス」において、前段階で「想:表象系」が大活躍して(コンピュータではプログラムを実行して)いますが、その演算結果を確定させる段階です。
ここで、判断系の非意識として、「布施/愛→共感/慈悲→真理表現」の概念を提示したいと思います。まず、判断系非意識「布施/愛→共感/慈悲→真理表現」の入出力関係を整理しておきます。
リアル(環境、自分)【色:表現系、識:記憶系】
↑ ↑ ↑
戒 →定 →智慧 → 布施/愛→共感/慈悲→真理表現【判断系非意識】
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↑ ↑ ↑
体験/想像→思考/意味→分析/理解 → 感情表現→価値判断→概念/原理化【判断系意識】
(1)布施/愛について
布施/愛は、何の感情も伴わない純粋な贈与の判断です。入力は、表象系非意識の戒と、判断系意識の「感情表現」です。前者は、直感→戒→布施/愛と流れる極めて自然なリアル/無意識と一体となったプロセスですね。後者が曲者です。通常われわれは知覚→体験/想像→感情表現というように、原初の対象をはなれ、美醜・好悪・喜怒哀楽をはじめとするあらゆる感情表現に発散させます。ここに人生を見出します。しかし、真実は、リアルに近い布施/愛に気づくのが自然なのですね。感情表現に執着するから、自然に反して苦しいのです。そして感情表現(を滅し)→布施/愛→リアルと環境や他人に対しては「表現」し、自己に対しては「記憶」し、よいカルマとして次のリアルとの「触」に備えるというわけです。
(2)共感/慈悲について
共感/慈悲は、布施/愛と親和する概念ですが、一つの違いは、定の裏づけがある点です。こころを落ち着け、浄化されると、打算や善悪などの価値判断を超えた「無願」の判断が泉のように湧き出してきます。これが共感/慈悲です。また、「察する」の意識世界では、認知→思考/意味化(認識)→価値判断というように、原初の対象を後得の理知で「それは何の役にたつのか」「価値はあるのか」「良否は」と現世の利を求めて苦しんでいます。そこで、そういう思考判断を手放して、対象であるリアルに大悲を注ごうというのが、価値判断(を滅し)→共感/慈悲→リアルの流れなのです。
(3)真理表現について
真理表現は、大悲→大智という般若の智慧である「真理」の判断という意味です。判断系意識である「概念化/原理化」はあくまで現象世界における分別を原理・原則化したものですが(「真偽は」と問う)、この真理はリアル/無意識(潜在性)をも含んだ「一切」を包含する真理なのですね。ですから、概念化/原理化(これは分析世界の部分的真理に過ぎないことを観じてこれを滅し)→真理表現→リアルと至る流れが自然の流れといえます。
これで、非意識系についてのお話は終わります。(つづく)
獅子鷹
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