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2008年5月

出雲大社に詣でる3

本殿前で一通りの説明を受けた後、改めてざっと内部を覗き込む。八雲の天井絵は正面の蔀(立ち入り禁止線)から身を乗り出さないとよく見えないので、寝そべったり、倒れこみそうになる人もいた。それより気になるのは、大黒柱右奥の御神座である。もっとも、本殿正面からは中央の大黒柱と右側の側柱を結ぶ板仕切りによって直接は見えないようになっている。蔀の最左端からわずかに空間の一部が覗けるのみである。

まあ、主は仮殿へ引っ越したのだから、霊界の盟主の気配はなく、もぬけの殻という印象であった。ほんとうになにもいなかった。(だから、俗人が入れるのだが。)

ということは、普段はやはり大国主命が「いる」のだろうか。そう「いる」のである。八百万の国日本では、古くから自然や森羅万象に神が宿ると信じている。水に水神、風に風神、木に木霊といった具合に目に見えるものにはそれを成り立たせる「何か見えないもの」がはたらいており、これを「神」というのだ。しかし、何かが見えるやいなや、神はお隠れになる運命にある。日本人には、この直観が腑に落ちるのである。

だから、大国主命=神はお隠れになっていてけっして見ることはできないが同時に「いる(観るのである)」ということになる。目に見える日本国が天皇を戴いて存続できるのは、目に見えない霊界の神の親分たる彼のお陰である。ということか。

蛇足だが、国名「日本」はなかなかに本質的な名称だ。何せ、「日、太陽」=天照、「本、根源」=大黒で、「日即是本」ということになる。これで一切を表しきっているといえる。

そんなことをつらつら考えつつ、階段をよろけながら降り、なんだかボーっとしながら八足門を出た。そうだ。もう空腹に耐えられない。はやく荒木屋の出雲そばを戴こう。銘酒「八千矛」を入手しよう。なーにこれも、大黒様の思し召しにちがいない。

獅子鷹

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出雲大社に詣でる2

バス停横の鳥居から本殿や拝殿(今は仮本殿として大国主命が仮住まい中)のある境内「荒垣」まで約数百メートルあり、参道が木立の中をなだらかに下りながら一直線に伸びている。まるで、荒垣に吸い寄せられるようにただひたすら歩く。すると、目指す本殿特別拝観の行列が荒垣正門の外まで50メートルほどはみ出しているのが見える。この列の最後尾に並んだのが、8:30過ぎ。P5130019

この日の拝観開始は9:30からであるが、もう前倒しで受付は始まっているようだった。並ぶや否や、ホッとしたのか眠気・空腹・頸痛が復活。加えて、雨が降り始めた。しかも小雨が降っては薄日が差すという不安定な天気。「大黒様」もちとご機嫌ななめか。(アパート仮住まい中に、改築中の我が家を他人に覗かれるなんていやだもんなあ。でもそこは霊界の盟主。喜んで受け入れてくれるだろう)P5130020

列は1時間ほどで本殿前へ進み、本殿前の八足門脇の受付テントで記帳を済ませて「御本殿特別拝観之証」なる券片を受け取り、いよいよ通常は天皇陛下も入場を許されない本殿へ。(ここから先は撮影禁止)

八足門の中で靴をぬぎ、真新しい白木が敷き詰められた通路を進み、急な勾配の階段を上ると、本殿が眼前にぬっと現れた。ぐるりと建屋を取り囲む縁側を南から反時計回りにゆっくり進み、最後に南面の正面前でお宮の人のお話をききながら、内部を覗き込む。

「右奥の仕切り奥が大国主命の御神座です。今は留守中です。ちょうど真ん中の柱が直径1.1メートルの「心中柱」です。まさに「大黒柱」です。天井に描かれているのが有名な「八雲之図」です。1744年の造営遷宮の際に描かれました。八雲なのに七つしか雲はありません。理由ははっきり分かっていません。一説では、近くの神社に九つの雲があり、ここの雲が飛んでいったとも言われています・・・」

(つづく)

獅子鷹

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出雲大社に詣でる

P5130016_3 先日、思い立って出雲大社に詣でた。出雲大社では、今年から平成25年にかけて、60年に一度の国宝本殿の屋根の葺き替えなどの改修を行っており、先月4月20日には祭神の大国主命(大黒様)を仮殿へ移す「仮殿遷座祭」が行われ、主が留守になった本殿を拝観できるため、ちょっと興味を引かれたのである。

出雲大社は一生に一度は行ってみたいと思っていたし、60年に一度の本殿拝観のチャンス(40代の私にとって今後事実上もう無い)という俗っぽい興味もあった。また、割子の出雲そばや地酒などに舌鼓をうちたいという本来!?の目的もあった。

大丸地下で「すし鉄」の鉄火巻きを買い、夜7時すぎに東京八重洲でスサノウ号という夜行バスに乗り、揺られること12時間。翌朝7時すぎに出雲市駅前に到着。朝飯も食べず、睡眠不足を取り戻す仮眠もせず、寝違えて痛めた頸をさすりながら、すぐに、大社行きの畑電バスに乗り換えた。目的は単純明快。本殿特別拝観の列に早く並ぶこと!!

バスは通学時間帯と重なり、多くの参拝客のほかに女子高生が多く乗り込んできて、私の隣にも座った。高齢の方も多い参拝客の高揚したざわめきある雰囲気とは対照的に、彼女たちは、試験勉強であろうか、なにやら静かに真剣にノートに見入っている。何気に目をやると、「デモクリトスの主張は」「善のイデアとは何か」「ニコマコス倫理学とは何か」などの文字が躍っている。思わず「がんばって」と心の中で応援していた。と同時に、西洋哲学の起源のギリシャ哲学を学ぶ彼女たちの生まれ育った地に「出雲神話」があることを羨ましくも思った。先に国土を形成して「国つ神」となり、後に「天つ神」の天照大神に国を譲った大国主命は、目に見える存在の盟主となった天照(天皇の先祖)に対して、目に見えない霊界の盟主となり、生死一如で日本国を支えているというのだ。「千と千尋の神隠し」はまさにこのことがテーマ。目に見える世界では「千尋」という個別の名前をもった少女は、新興住宅街のはずれのテーマパークのトンネル(この世と霊界との境界)をくぐり、「千」となる。すなわち、名前を奪われる(千=たくさん、八百万の世界)ことになる。

彼女たちは大社直前のバス停で整然と降りていった。

程なく、巨大なコンクリート製鳥居が現れて、まっすぐに北に伸びる門前町にはいり、一畑電車の駅を横に見てさらに進むと、樹木に覆われた神域が忽然と現れ、俗界と分かつように鳥居が立っていた。ここでバスを降り、鳥居の前に立った。バスの中では眠気と空腹と頸痛に苛まれていたのだが、なぜかすべて止んだ。

覚醒した目で鳥居の奥を凝視する。はるかかなたの正面に、本殿が陽炎のように見えた。

次の瞬間、足取りも軽く、本殿を目指していた。

獅子鷹(つづく)

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