チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調Op.64
チャイコフスキーは、感性豊かなひとでした。感性というと喜怒哀楽のありとあらゆる情念がありますが、どちらかというと悲観的で暗い情緒を好む人でした。これは彼の神経質なところのあるパーソナリティもさることながら、ロシアという国のどんよりとした、陰鬱で寒い気候の影響や、ロシア革命前夜のブルジョア・労働者階級等の社会的不合理による自己実現の難しさ、当時の強国トルコのスラヴ民族圧迫や露土戦争といった暗い国際情勢も多分に影響しているはずです。いまにも押しつぶされるような内外の陰鬱な環境の中で、チャイコフスキーは、作曲にせめてもの自己実現を託したといえるでしょう。
チャイコフスキーの後期3大交響曲の真ん中にあたるこの曲は、前後を性格付けの明瞭な2曲に挟まれて、なにか中途半端なものと言われることが多いようです(後述のように、チャイコフスキー自身も最初はこの曲を成功と認めませんでした)。前には、抗うことのできない激烈な運命とこれの裏返しの情熱、強烈な愛情といった情緒を歌い上げた交響曲第4番がありますし、後には、いうまでもなく、人生の悲劇、恐怖、絶望、死といった情緒を徹底的に追及した交響曲第6番「悲愴」が控えています。こんな強烈な個性ある兄と弟がいたら、真ん中の私はどうなるのでしょうか。まあ、自己主張などできまへん。おとなしく、兄弟の顔色をうかがって、おそるおそる控えめで穏やかな情緒表現をするしかないのでしょう。
「真ん中の私」こと交響曲第5番は、弟の第4番と同様、「運命」の動機に貫かれています。しかし、第4番は、自身の結婚の失敗(自殺まで試みた)や戦争という極端で激烈な「運命」を明瞭に扱っているのに対し、第5番のほうは、かならずしも「運命」という表題性は明確ではありませんが、「運命」に基づく不幸⇔幸福の振幅の振れが第4番ほど大きくなく、なにか、あこがれ・ほっとする想い・ほのぼのとした穏やかな情緒があるようです。また、深い思索や知的な抒情性(?)をかもし出しているという評もあります。先ほど「中途半端な性格」といいましたが、どうしてどうして、情緒の振れ幅の小さい「中庸」さは実は偉大なのです。チャイコフスキーの「三兄弟」では、独創的な「悲愴」は別格としても、第4番をしのぐ人気を得ているといえるでしょう。
チャイコフスキーは、自分の感性をストレートに表現できた第4番と第6番「悲愴」は最初からお気に入りでしたが、この第5番は情緒の扱いが自分としては不満足でした。初演は完成と同年の1888年11月5日にペテルブルグで彼自身の指揮で行われましたが、観衆の受けは良かったのに(批評家にはいまいち)、フォン・メック婦人宛ての手紙では「この曲には何か余分で雑多なもの、不誠実でわざとらしいものがあります・・」と書き、失敗とみなしています。しかし、その後、各地のコンサートで大成功を収め、世評も上々でした。さすがのチャイコフスキーも「私はこれまでこの曲を低く評価していたが、今ではこの曲を以前よりずっと好んでいる」といっています。天才作曲家もこの天下の名曲の真価判断を見誤り、聴き手の評価という「運命」に翻弄されたといえましょう。まさにこの曲の「運命」の動機の進行順序そのままにチャイコフスキー自身のこの曲の評価が「めでたし」となったのでした。
第1楽章 Andante - Allegro con anima ホ短調、序奏付きのソナタ形式
序奏ではクラリネットが「運命」の動機を深いため息のように吹く。提示部は、断続的な弦の刻みにからんでクラリネットとファゴットが第1主題を出す。哀愁感のある推移主題の後、第2主題はヴァイオリンによる流麗な旋律。その後、陰鬱な運命のいたずらからちょっと脱して、なだらかな幸福感につつまれたワルツ調の副次主題が癒しを与える。展開部はホルンの自然のさえずりから入る。型どおりの再現の後、第1主題によるコーダとなり、盛り上がった後暗く重い結末となる。
第2楽章 Andante cantabile, con alcuna licenza ニ長調、複合三部形式
短い弦の序奏のあとで鳴らされる主要主題はホルンの美しい調べが印象的。愛らしくもどこか悲しい副主題も美しい。中間部にはいると、クラリネットが物悲しい旋律を示す。「運命」の動機は、中間部のクライマックスと、主部が復帰してコーダに入る直前に激しく出る。
第3楽章 Valse. Allegro moderato イ長調、複合三部形式
通常はスケルツオが入るべきところチャイコフスキーは純然たるワルツを採用した。主部の主題はヴァイオリンの典雅なメロディ。中間部は弦による細かい音型が特徴。この音型に乗ったまま、主部の主題が復帰してくる。「運命」の動機はコーダでクラリネットとファゴットに静かに現れる。
第4楽章 Finale.Andante maestoso - Allegro vivace(Alla breve) ホ長調、序奏付きのソナタ形式
序奏は長調に転じた「運命」の動機で、「運命」を克服したかのように厳かに始まる。主部は、第1主題はまるで「運命」を克服するかのようにお祭り騒ぎ的な民族舞踊調で激しく繰り出される。第2主題はこれと対照的な穏やかなもの。コデッタではまた「運命」の動機が扱われる。展開部は、弦が第1主題のリズムを刻み、第2主題が変奏される。徐々にスピードが落ちたところでいきなり再現部となり劇的に盛り上がり、全休止(ここで拍手をしないように!!)をはさんで勝利感に満ちたコーダへなだれ込んでいく。ここでは「運命」の動機が高らかに奏され、第1楽章の第1主題を金管、オーボエで華やかに打ち上げて豪快に締めくくる。
獅子鷹
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