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2012年11月

ブルックナー交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」

 アントン・ブルックナーは1824年オーストリアのアンスフェルデンに生まれ、11歳より父からオルガンの手ほどきを受けてめきめきと上達。リンツ郊外の聖フローリアン修道院付属教会のオルガン奏者を30歳まで続けています。その後、ゼヒターに和声法と対位法を学び、キツラーに管弦楽法を学んだ際ワーグナーを知り、ワーグナーに傾倒、研究しています(なお、交響曲第3番はワーグナーに献呈されています。ワーグナーは譜面を見て感動し、「私はベートーヴェンに到達する者をただ一人知っている。君だよ」と賞賛したとのこと)。1868年には、ゼヒターの後任としてウィーン国立音楽院の教授に就任。この時以来、彼は大部分のエネルギーを交響曲書きに集中させました。

今回採り上げる交響曲第4番は187412日に作曲を開始し、同年1122日に第1稿が書き上げられました(その後、ブルックナーの常として、本人や弟子などによる改訂が多く加えられていますが、第二稿(1878/80)ノヴァーク版の演奏が多いようです)。この曲はブルックナーが書いた9つの交響曲ではもっとも有名な代表作で、「ロマンティック」との副題があるように、清らかな自然を愛する心・純粋無垢な喜び・恍惚とした無我の境地等が示されているといわれます。それは、彼の愛した聖フローリアンの“ブルックナー・オルガン”をそのまま鳴り響かせるかのような荘厳な響きをひたすら求めており、悩みとか運命・悲喜劇といった世俗的な世界は一切超越しているようです。

ブルックナーはよくマーラーと比較されます。それは、後期ロマン派としての名声や交響曲の数・長大な演奏時間等、表面的な共通性からですが、その精神性や音楽の内実はまるで異なります。

まず、信仰等の精神性ですが、ブルックナーは敬虔なカトリック教徒であり、質素な生活に甘んじ、一生独身を通し(死ぬまで多数の女性に求婚はしましたが・・)、基本的には信仰と音楽の生活を送りました。しかし、俗世間は冷酷で自分の思い通りにならないものです。自身の音楽への批判に対する異常なまでの劣等感・意気消沈等思い通りにならない物事に対しては卑屈なへりくだりやへつらいによって自分の感情を抑圧してしまう負の面もありました。これに対して、マーラーは元来ユダヤ教徒でしたが、キリスト教に改宗を余儀なくされています。しかもボヘミア生まれという相当複雑で被虐的な信仰・精神性を強いられたのです。昔から精神病理学者や心理学者の格好の材料であって精神分裂症であったともいわれています(妻アルマの浮気時には、フロイトの診察も受けています)。結果として、神性も希求するが、人間の弱さをもさらけ出す二面性を持っていました。

このような精神性のあり方は、そのまま両者の音楽にも如実に反映されます。ブルックナーは、「自らの創造主を愛することもできずに、その存在すら信じられぬ者がいるなど、自分には考えられない」と語っており、テ・デウム(生前に30回以上演奏され、マーラーも指揮していた)や交響曲群を、愛する神に捧げています。神は絶対の“一”ですから、一生の間、神に近づくために、同じ様式での曲の深化を追究(したがって、書き直しが頻発します)し、形式も型にはまったものが多く(ブルックナー開始、ブルックナー休止、2+3のブルックナー・リズム等)、しかも繰り返しが多くなります。これに対してマーラーは、神を求めて究極の存在に融合しようとする傾向(交響曲第2番、8番等)も認めらますが、基本的に聖なる神性と生身の人間性が分裂気味に交代・並列的に発現しており、神を信ずると同時に、苦悩する近代人であったといえましょう。神と人間の関係は、相互の永遠なる発展であることから、マーラーは常に新しい可能性を求めて、曲の形式、管弦楽法、調性などを拡大しました。彼は「音楽の真の原理は、繰り返しのない前進、永遠の生成である(東洋的!!)。」と述べて、反復を極力避けている点が、ブルックナーと好対照です。ベートーヴェンが近代的自我の英雄的精神を讃えるものであるなら、ブルックナーは宗教的悦楽を深化させ、マーラーはあくまで神性と人間界の苦悩のせめぎ合いを絶対矛盾的に吐露したともいえましょう。

マーラーのあの晦渋な音楽は、神と悪魔(≒人間や現実世界)、つまり“一切”を表現しきっていた、また、実生活そのものも音楽さながらの激烈な生き方だった。ブルックナーは、神の世界の閉じこもり、ある意味穢れを知らぬ天上の世界を表現したのであるが、悪魔を抑圧したため、実生活は音楽の表現とは裏腹の疲れるものだった(ですから音楽が“きれいごとばかり”に見え、受け入れない人たちがいる理由ともいわれています)。さて、この両者の音楽をきいて、われわれはどう解釈するか。みなさんはどちらの音楽・生き方に共感しますか?ともあれ、後世の私たちは、ある意味対照的な世界を両方味わえ、なんと幸せなことでしょう!

1楽章 “Bewegt, nicht zu schnell”(運動的に、しかし速すぎずに)変ホ長調、2/2拍子(2分の2拍子)。ソナタ形式。

冒頭弦のトレモロ(ブルックナー開始)が暁の森を連想させる。朝の始まりを告げるホルンのソロ(第1主題)が奏でられ、フルートやクラリネットが受ける。その後「ブルックナー・リズム」(2+3連音符)が刻まれ、全合奏による頂点を迎える。第2主題は変ニ長調で小鳥のさえずりを象徴。発展して、変ロ長調の第3主題がユニゾンで鳴る。小結尾に入り第2主題が静かに戻る。半音階の下降音形がヴァイオリンで奏され、やがて提示部が終わる。展開部ではまず第1主題を中心に展開し、荒々しい雰囲気の後、厳かなコラールが登場し、明るい雰囲気となりつつ再現部に移行する。ほぼ型どおりに再現され、コーダでは第1主題が厳粛に奏でられ終わる。

2楽章 Andante quasi Allegretto ハ短調、4/4拍子(4分の4拍子)。ロンド形式。

主部は、まずチェロにより主題が提示される。副主題はヴィオラで提示され、後半は木管の鳥のさえずり。主部の回帰で主要主題が対位法的に扱われて発展する。この短い展開部が終わると、主題が元通りの形で現れるが、新たな動機がオーボエででる。副主題もほぼ元通り再現され、主部が回帰する。この後、コーダとなり、冒頭の落ち着いた雰囲気を取り戻して静かに消えてゆく。

3楽章 Scherzo. Bewegt - Trio. Nicht zu schnell, Keinesfells schleppend  変ロ長調、2/4拍子(4分の2拍子)。A-B-A 3部形式。

主部は「狩のスケルツォ」とも呼ばれる。ホルンの重奏に始まり、金管が一斉に鳴り響く。スケルツォ主部だけでも擬似ソナタ形式ともいえる展開が存在する。トリオ(中間部)は木管楽器群が主部とは対照的な、田舎風ののんびりした音楽を展開する。木管にレントラー主題が再現されて、休止すると、狩に再帰する。

4楽章フィナーレ “Bewegt, nicht zu schnell”(運動的に、しかし速すぎずに) 変ホ長調、2/2拍子(2分の2拍子)。ソナタ形式。

3つの主題を持つ。全楽章のうち、もっとも大規模。低弦の鼓動にのって第1主題が提示。第3楽章のスケルツォ主題が回想されるうちに高揚し、第1主題が金管楽器群で力強く合奏される。やがて第1楽章の第1主題が形を変えて再登場。2つの楽想からなる第2主題が弦楽器にて奏された後、強烈な6連音符を含む第3主題が第2主題の流れを打ち破る。その後、序奏が回帰すると展開部→再現部となるが第3主題は再現されずにそのままコーダに入る。テンポを大きく落とし、弦楽器群の6連音符のトレモロをバックに、トロンボーンのコラールが奏され、やがてホルンの高らかな音に引き継がれ、第1楽章の第1主題を歌い上げて荘厳に終わる。

獅子鷹

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