ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調
1803年からの数年間、ベートーヴェンは、“ハイリゲンシュタットの遺書”(1802年)を書いて自殺未遂まで起こしたどん底から復活していました。フランス革命以来の啓蒙精神を体現したナポレオンに触発されたヒロイズムを描いたのが、交響曲第3番「英雄」(1804年)。耳疾をはじめ次々と降りかかる不幸な運命を不屈の精神で乗り越えた記念碑的作品が、1805年からほぼ3年掛かりで完成させた交響曲第5番「運命」(1808年)。運命を克服した“熱っぽさ”を癒し、ハイリゲンシュタットの自然に回帰したのが、交響曲第6番「田園」(1808年)。といった具合に、この間に奇跡的な質と量を伴った“傑作の森”がもたらされます。
この“中期ベートーヴェン”には、ハイドン・モーツアルト的な古典主義から、来たるべきロマン主義への質的転換がみてとれます。すなはち、作曲というものがベートーヴェン個人の手で、音楽史上初めて、教会や貴族・上流サロンの手から離れ、純粋に個人の内面(理性や感情)を吐露する芸術に飛躍したのです。
しかし一たび現実に立ち戻ると、耳は以前にも増して聞こえなくなるし、名声は得ても生活は相変わらず苦しく、結婚もままなりません。肝心の作曲も一時スランプにも陥ります。そうした中で、今回採り上げる交響曲第7番は作曲されました。時はすでに“後期ベートーヴェン”に突入しようとしていました。ベートーヴェンは1812年6月のブライトコプフへの手紙の中で「私は3つの交響曲を書いているが、その1つはすでに完結した」と書いています。1811年から彼は7番、8番の交響曲を書き始めていましたが、「すでに完結した」のは第7番のようです。ちなみに残りはボン時代から構想をあたためていた第9番ということになっています。
ロマン・ロランは第7番を評してこういっています。「イ長調交響曲は泥酔者の作であるといわれている。巨大な笑いを伴う激情の興奮と、惑乱する諧謔の閃き、思いもよらぬ恍惚悦楽の態。それはまったく酩酊せる人の作である。力と天才とに陶酔する人の作であった。・・」
音楽とはメロディ・リズム・ハーモニーの総合体ですが、この曲ほど“リズム”を際立たせて迫る名曲を知りません。この、音楽の3要素の中でも、最も原初的で、太古の昔から存在した必須の要素“リズム”。しかも、リズム(=ビート)は動きを呼び起こし、自然と踊りだしたくなってきます。動き出したら、理性など吹っ飛び、もう乱舞・陶酔の世界は間近ですよね。
それでは、具体的にみてみましょう。この曲のリズムで主なものを村上春樹と対談したときの小澤征爾風に文字であらわすと、こんな風です・・。
第1楽章「8分の6拍子vivaceで、ターンタタン、ターンタタン・・」
第2楽章「4分の2拍子allegrettoで、タータタターター、タータタターター・・」
第4楽章「4分の2拍子allegroで、タンタカタン、タンタカタン・・」
まあ、文字ではうまくいえませんが、浪花節やこぶしが得意な日本人にはなんとも苦手なこの“リズム”が上手くはまると、とてつもない名演奏となり、最後は酔っ払ってもいないのに、酒の神様“バッカス”がそこここにやってきて、ディオニュソス的狂喜乱舞・陶酔の世界が現出するというのです(ほんとうか)。さきのロマン・ロランの文章は、まったく、この曲の真髄を言い当てているといわざるをえません。
では、このような一見“野生の証明”的な第7番(柔和な8番とセットで作曲)はベートーヴェンの交響曲群ではどのような意味を持つのでしょうか。
ヒントは、彼の最後の交響曲第9番「合唱付き」に如実に現れていると考えます。
ご存知のように、“第9”はベートーヴェンの最後の交響曲にして、合唱付の未曾有の大作ですが、合唱が出てくる最終楽章“歓喜”で完結させるために、第1楽章“理性・精神”、第2楽章“野生・陶酔”、第3楽章“情愛・安らぎ”を配置しています。つまり、人の通常経験できる世界を第1楽章から第3楽章に割り振り、これを超えた絶対的境地の“喜び”で昇華させているのです。これを彼のたどってきた交響曲の歴史に当てはめて見ましょう。初期の作品を除き、奇数のもの3,5,7番はロマン主義的な大作、偶数4,6,8番はコンパクトで古典主義的といわれています。以前、“運命”と“田園”を呼吸のリズムにたとえてみましたが、どうも奇数版で「一ちょう、やったろか」と意気込んで大きく息をはきつつ革新的な大作をものにし、直後に、偶数版でゆったりと息をすいつつ安らぐといったかんじなのです。奇数版のうち、3と5は“理性・精神”すなはち、第9の第1楽章にあたり、この7番は“野生・陶酔”すなはち、第9の第2楽章に相当しているのです!では残りの4,6,8はどうでしょうか。これらは、総じて“自然へ抱かれる回帰・安らぎ・情愛”を象徴し、第9の第3楽章に相当すると考えられるのです。ベートーヴェンは、生地のボンの時代から実に30年(ブラ1も顔負け!)にもわたりシラーの「歓喜に寄す」を題材にした楽曲を構想していました。はからずも、“ハイリゲンシュタットの遺書”からの復活後(復活ののろしが第2交響曲)、文字通り彼の全人生をかけて自身のあらゆる精神世界を踏破するために3番から8番の交響曲群を生み出し(=第9の中では前座として第1楽章から第3楽章を器楽で奏し)、最後に9番でこれらすべてを否定し去って(=第4楽章の冒頭で、既出楽章にダメだしをした後)「歓喜」を思う様歌い切って(息を吐ききって)第9交響曲を完結させ、彼の全交響曲(この世)におさらばしたのだといえましょう・・・・・。
なお、第7番の初演は1813年12月8日(200年前・・)にウイーン大学講堂にてベートーヴェン自身の指揮で行われ、第2楽章はアンコールされました。同時に初演された「ウェリントンの勝利」目当てに聴きに来た聴衆がほとんどでしたが、交響曲の方はあとからじわりじわりと人気が出てきたとのこと。
第1楽章 Poco sostenuto-Vivaceイ長調 4分の4拍子- 8分の6拍子 序奏付きソナタ形式
厳粛さを醸しだす序奏の後、8分の6拍子で「ターンタタン、ターンタタン…」の弾むような付点音符のリズム動機が繰り出され、これをベースにフルートが主題を奏でる。以後、無限の変化をもって発展していく。最後は、ホルンのきらめく高音が響く中、A-durの和音で輝かしく終結する。
第2楽章 Allegretto イ短調 4分の2拍子 複合三部形式
冒頭、前楽章の喧騒を否定するかのように、ホルンと木管がイ短調の和音を出した後、弦楽器で「タータタターター、タータタターター・・」のリズムの上に葬送曲風の主題が奏でられる。この特徴的なリズムが一貫して繰り返されクライマックスを築いた後、中間部はリズムそのままに長調に転じ、クラリネットとファゴットが天上の奏楽を繰り広げる。イ短調に復し、最後は冒頭とまったく同じ楽器・楽譜で、消え入るように締めくくる。(この楽章を自分の葬式に流してほしいという遺言が意外と多いのだとか・・)
第3楽章 Presto ヘ長調 4分の3拍子 三部形式(スケルツォ)
粗野な快活さ。野生の歓喜が垣間見れる。トリオはニ長調。三部形式であるが、トリオは2回現れ、ABABAの型になっている。コーダでは第9番の第二楽章(!)と同様にトリオが短く回想され、突如として終わる。
第4楽章 Allegro con brio イ長調 4分の2拍子 ソナタ形式
熱狂的なフィナーレ。リズム動機は、アウフタクト(弱拍)である2拍目(冒頭、ティンパニと管楽器で示される「タカタン!」)にアクセントが置かれている。続いて弦楽器で奏される民族舞曲風の主題が出て、リズム動機のもと終結まで延々・執拗に繰り返される。曰く、放歌乱舞、粗暴な踊り、野蛮な歓喜、いのちの限りない燃焼・・・云々。なお、第1楽章同様、コーダでは低弦によるオスティナートが演奏される。
獅子鷹
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コメント
(○`・ェ・)ノ【こ】【ん】【に】【ち】【ゎ】曲態はなんですか?
投稿: | 2016年1月 5日 (火) 20時01分