チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調「悲愴」Op.74
1888年秋に第5交響曲を初演した後、チャイコフスキーは西欧や新大陸への演奏旅行へでかけたり、バレエ「眠りの森の美女」やオペラ「スペードの女王」を作曲したりで、シンフォニーの作曲から遠ざかっていました。そうこうするうちに享年である1893年に突入します。この年の4月の友人への手紙にこうあります。「1つの交響曲を完成したが、突然気に入らなくなったので破いてしまいました・・。いま私は新しい交響曲を作りましたけれど、これは決して破いてしまいますまい」このうち前者がピアノ協奏曲第3番の土台となり、後者が“悲愴交響曲”となりました。
この曲は何を表現しようとしているのでしょうか。“悲しくも痛ましい”を意味する「悲愴」のタイトルは、初演後に弟モデストの提案に賛成して譜面に書き込んだことになっています(異説もあるようですが)。また、1893年早春の着想段階で「誰にも解き難いプログラムのついた交響曲」とか「このプログラムは全く主観的なもの」とか「心の中でそれを作曲しながら・・さめざめと泣いた・・」等と語っていますし、一説では人生交響曲とも言われています。これらを総合すると、どうやら「人生という苦難に満ちた難解なプログラムは、悲しくも痛ましい」といった情緒をチャイコフスキーは書きたかったようです。そして、人生の結末は“死”です。つまり、人生の悲哀、苦難、絶望、諦観といった情緒は最終的に“死”に至ることを象徴しているといえます(終楽章の終結部前のタムタムを合図とするトロンボーン、チューバのコラールは死の宣告ないし現前といえないだろうか)。チャイコフスキーの悲愴交響曲が人生の“苦”ひいては“死”を象徴するものとすれば、ベートーヴェンの第9はその真逆の“楽(喜び)”ひいては“生”をうたい上げています。この2曲の巨星は19世期の前後半をそれぞれ代表する交響曲の2極点といっていいでしょう。そして“生死”は一切ですので、この2曲で一切の交響曲は完結するとさえいえます。
なお、作曲は1893年初めから10月にかけてクリンの自宅で行われ、1893年10月28日にチャイコフスキー自身の指揮によりペテルブルクで初演されました。あまりに独創的な終楽章もあってか初演では当惑する聴衆もいたものの、この曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはありませんでした。
しかし初演のわずか9日後にチャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の“白鳥の歌”となってしまいました。チャイコフスキーは、死を予感してこの曲を書いたわけではありませんでしたが、結果として自分の書いたこの曲のプログラム通りに運命の審判が下されたことになりましょう。
第1楽章Adagio - Allegro non troppo - Andante -
Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante come prima -
Andante mosso 序奏付きソナタ形式、ロ短調
呻き声のような旋律がファゴットにより暗く出され序奏部が始まる。序奏部は主部の第1主題に基づく。やがて第1主題がヴィオラとチェロの合奏で不安げに現れる。第1主題が発展した後、休止を挟んで第2主題部へ入る。第2主題部は一転して苦悩をしばし忘れた甘美なもの。遠い昔を追憶しているかのようでもある。ちょっと戯れるような経過的モチーフを挟んで静か(pppppp!)に提示部が終わる。
全合奏でいきなり始まる展開部はアレグロ・ヴィーヴォで苛烈な苦闘の展開を示す。この激烈な進行が一端静まると、弦に第1主題の断片が現れ再現部を導入し、いきなり全奏で厳しく再現される。再現部に入っても展開部の劇的な楽想は維持されたままで第1主題に基づいた全曲のクライマックスともいうべき部分となり、トロンボーン・チューバにより強烈な嘆きが示される。そして、そのままffffのカタストロフィとなり崩壊する。やがて、やはり追憶は忘れられないとばかりに第2主題が再現し、そのまま儚いコーダとなって静かに終結する。
第2楽章 Allegro con grazia 複合三部形式、ニ長調
4分の5拍子という混合拍子によるワルツ。優美だがどこか不安定な流れが支配する。浮世の悲しみを忘れた束の間の安楽の情緒か。しかし中間部はロ短調に転調し、死の恐怖の太鼓が不気味に打ち続く。
第3楽章 Allegro molto vivace スケルツォと行進曲(A-B-A-B)、ト長調
12/8拍子のスケルツォ的な楽想の中から4/4拍子の行進曲が交代して出てくる。次第に力強く現れ、最後は力強く高揚して終わる。ただし、光彩に富んでいながら、どこか空元気のような空虚さが垣間見え、死の影が不気味に近づいている。
第4楽章Finale. Adagio lamentoso - Andante -
Andante non tanto
ソナタ形式的な構成を持つ複合三部形式、ロ短調
冒頭の主題は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという独創的なオーケストレーションが行われており、旋律の滑らかさを奪い、嘆きや悲痛といった情緒を聴き取れる。中間部では、ホルンの三連符に乗って、弦が悲哀を込めた主題を出し、やがて号泣するかのように頂点に達する。なお再現部では主旋律は第1ヴァイオリンにのみ任され、提示部でのためらいがちな性格を排除し、苦悩を全開した激しさをあらわす。この絶望の絶頂ののち、突然死が訪ずれたかのようにタムタム(どら)とともにトロンボーン・チューバのコラールが響く。その後、終結部に入り、死後の世界を垣間見るようなモティーフが悲痛にうたわれて、そして消えていく・・・。
獅子鷹
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コメント
4楽章の終結間際、「タムタムの暗い一撃の上に、トロンボーンとテューバの四重奏だけが、泥沼の中を喘ぎながら這っていくような響きを出す」と解説に書いてあったスコアが印象的である。
投稿: 悲愴 | 2016年2月22日 (月) 15時05分