恋愛

幸福の家族モデルとは?

先日の読売新聞人生案内(6/19)は、「夫への愛情が冷めた、どうしたらいいか?」というものだった。これに対する元女子マラソン選手の増田明美さんの回答があまりにも見事だっだので、紹介したいと思います。

問いの要旨「30歳台主婦。結婚10年。私は細かい性格。夫はマイペース。ここ数年夫の嫌な面(靴や服脱ぎっぱなし、おなか出る・・)ばかり目立ち、好きという気持ちが失せ、小言ばかり言っている。ただ仕事はまじめ、育児には協力的。子供に好かれる。何年たっても好きでいられる男性が他にいたのではと、最近後悔が募る。愛情が冷めたというだけで離婚するのはだめか」

回答要旨「父親としては満点。でも気になることは思い切って言おう(子供のしつけに悪いから靴や服の脱ぎっぱなしはやめて、健康のために少しやせて・・)。「愛情が冷めた」とあなたは言うが、「恋愛感情」が冷めただけでは。夫や子供に愛情を感じることは多々あるでしょう。「恋」は冷めたり色あせたりするが、「愛」は形を変えて永遠に続くもの。家族愛に包まれている今の生活を大事にされることを勧める」

うーん、非の打ち所がありません。完全な模範解答。と、ここで終わってもいいのですが、ちょっと、以下の「家族の役割構造図」で分析してみたいと思います。

Photo_5   どこやらで見かけた「ボロメオの輪」がまたもや登場しました。「家族」はこの三位一体構造で説明できると思います。

母は万物を生み出す根源として大地に相当します。父はこの世(家族)の大黒柱たる「象徴」として天に相当します。無明の混沌から天地が分かれ、世界が誕生します(まあ、一組のカップルが誕生したといっていいでしょう)。母(大地)からは「生命本能愛」が天に向けて陽炎のように発せられます。これが天に達しやがて水蒸気・雲となり、父(天)は大地に心地よい雨を降らせます。これが「結婚」です。潤い続けた地上には多くの生命体が誕生します。すなわち、子供が生まれ、「家族」が誕生します。以上が自然洞察から生まれた家族像(仮説)です。

女である母は、本性として愛を純粋贈与する存在です。子供に対しては無償の母性愛、夫に対しては女としての生命本能愛を無償で注ぎ続けるのが「自然」の状態です。なお子供は一方的に「奪う愛」です。(この愛が足りないと子供は切れるようになるのです)

子供は羊水内以来の母親との一体関係に夢見心地ですが、ふと気づくと、家庭内に母子の仲を切り裂く「父」の存在を知ることになります(エディプス・コンプレックスの始原ともいえます)。一方、父は父で自分の子孫が増えたことのみに満足し、妻の乳房を独占する子を厭わしくさえ思います。この相反する関係を乗り越えるには「理性」しかありません。かくて、父と子は理性愛(愛の本性ではない)で結ばれることなります。

夫は妻からの愛を受けて(陽炎)これに気づいて初めて愛(雨)を注ぐのが自然な状態といえます。つまり、妻はいつでも愛を発信し、答え(「愛しているよ」というコトバでもいい)を待っているのが自然状態なのですね。ところが、夫は、陽炎を受けても、気づかなかったり、陽炎が濃すぎて煩わしくなってつい違う大地(余所の女?)に怪しい雨を降らせてトラブったりするのですね。

さて、事例に戻ります。

夫は「育児には協力的。子供に好かれる。」ですから、「子-父」関係はOK。ただ「子供のしつけに悪いから靴や服の脱ぎっぱなしはやめて」=理性をもう少し働かせて。また、「健康のために少しやせて」は「母-父」の生命本能愛の発現ですから「マイペースの夫」に気づいてもらうためにも「細かい性格」を生かして思い切って言おう。(付け加えると、夫は妻の愛の発現に気づき、まめにプレゼントなどの愛情表現をすると円満になるのです。)

最後に、「「恋」は冷めたり色あせたりするが、「愛」は形を変えて永遠に続くもの。家族愛に包まれている今の生活を大事にされることを勧める」まさにボロメオの輪の「母-父-子」が重なるところ「家族愛(無償的)」の重要性を喝破しているのです。完璧!

獅子鷹

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「テグメンタ」と「ストリアツム」

既に読んだ方もいると思いますが、ダビンチの最新号に、歌人と科学者(だったか?)のトークが載っていた。ちょっと、面白かったので、簡単に紹介したいと思います。

「恋は盲目」

人の脳には「テグメンタ」という部位があり、快感を生み出す場所とのこと。左右2箇所あり、右側は恋愛時に活性化、左側はおばさんが「ヨン様」というような感情を持つ際に活性化する。(ン?違いがいまいち分からんが)
なお、酒・たばこに伴う快感にも関係しており、テグメンタがある限り、やめられないそうな。しかも理由は説明できない。理屈で「体に悪いから、周りに迷惑だから」といっても、絶対に納得しないのである。

「あんなに好きだったのに、突然きらいになる」

人の脳には「ストリアツム」という部位があり、意識には上がってこないが、ちゃんと理由があって、感情を左右する情報が蓄積される場所とのこと。そして、ある閾値を超えるとワーッと意識化するという。いわば、好悪、喜怒哀楽といった感情を内的に自動計算し、突然噴出するといったイメージか。
たとえば、好きで付き合っていたのに、いろんな事態の蓄積で(たぶん「なんとなくやだな」という感情が無意識にチリがつもるようにだんだんと満ちるイメージ)閾値を超えたとたんに大きらいになって別れるとか。しかも理由を説明できないという。。
これは、自転車練習でなかなか上手くいかなかったのに、あるとき、突然乗れるようになることも同じだそうです。

わたしは、唯物論者というわけではないのですが、脳の生理的物理的機能が、まずは一義的に人の無意識層に影響をあたえているという事実にはなはだ興味があるわけです。

ある意味、直感とか勘(シックス・センス=第六感、直観)といった理屈抜きのダイレクトアプローチの例証ともいえるわけですね。

あと、面白かったのは、はしょってますが、以下の通りです。

・「ときめき」から「やすらぎ」への価値転換が必要。
たとえ、どんなに、絶世の美女と大恋愛しても、3ヶ月で薄れるのが脳機能だそうな。長続きの秘訣は「やすらぎ」への価値転換をいかに図るかがカギ。
これって、老若を問わずあらゆるカップルへの教訓ですねえ。
(ああ、諸行無常、諸法無我・・)

・通常の恋愛は、人対人のコミュニケーション。片想いは脳内自己完結型コミュニケーション。片想いって、相手に迷惑をかけずに、自己満足に浸れ、意外に長続きするらしい。
(思い余って、ストーカー化するなかれ)

獅子鷹

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