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ロマン派の旅~北イタリア発ウイーン経由モスクワへ

  

 本日は「ロマン派の旅~北イタリア発ウイーン経由モスクワへ~」と題してロマン派音楽の「名所」を巡っていきたいと思います。前半は「北イタリアから音楽の都ウイーンへ」という西洋音楽のメイン・ストリートを歩いてみたいと思います。後半は、どちらかというと西欧主流派に抑圧されていた東欧やロシアの、民族主義が発露した後期ロマン派音楽に焦点を当てます。

【1️⃣自由な表現を求めて ~前期ロマン派の勃興~】

歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲/ロッシーニ(17921868 イタリア)

 ロマン派とはどんな意味なのでしょうか?皆さんご存知ですか?いろいろな解釈がありますが、一言でいうと、「人間の自由な表現を重んずること」といっていいと思います。よく対比されるのが、「古典派」音楽ですが、こちらは和声や対位法による規律、厳格な表現形式といったイメージですが、ロマン派は、規律に対して「自由」、表現形式に対して「表現内容」といったところでしょうか。

 ところで音楽におけるロマン派の幕開けといえば、19世紀初頭のウエーバーかシューベルトあたりになりますが、本日は、彼らと同時期に活躍した北イタリア生まれロッシーニの歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲から開始します。先ほどロマン派の特徴は「表現内容」といいましたが、歌劇はまさにストーリーのある「内容」そのものですね。「セヴィリアの理髪師」序曲は、歌劇の序曲の草分けでもあり、またもっともポピュラーな器楽曲でもあり、ロマン派の旅のトップバッターにうってつけといえましょう。 

交響曲第7番 イ長調 Op.92 第一楽章/ベートーヴェン(17701827 オーストリア) 

さて次は、北イタリアから一足飛びにアルプス山脈を超えて、音楽の都ウイーンへ行ってみましょう。こちらでは、同じころあのベートーヴェンが活躍していました。しかし、ベートーヴェンは先ほどのロッシーニとは違い、オペラが苦手でした。生涯で「フィディリオ」という1曲のみを難産の末書きましたが、評判はいまいちでした。当地ウイーンでもオペラに関してはロッシーニの方が断然人気者です。ロッシーニは本日の「セヴィリアの理髪師」序曲もそうですが、同じ序曲を手軽に他のオペラに涼しい顔で転用していました。対照的にベートーヴェンは慎重すぎるというか、フィディリオでなんと3回も序曲を書き直しています(序曲「レオノーレ」第1番~3番)。

ところで、学校の授業などでは、ベートーヴェンはハイドン、モーツアルトなどとともに「古典派」と習ったのではないでしょうか。今日はロマン派の音楽のみのはずなのに、おまえはうそつきだあ!といわれてしまいそうですが、実は古典派からロマン派への交代が一夜にして行われたわけではないように、ベートーヴェン自身も古典派の形式に則って音楽を創るとともに、「英雄」や「運命」「田園」等、標題音楽のはしりといわれるように、音楽内容に意味を込めた取り組みを行っており、古典派音楽の完成者であると同時にロマン派の先駆者と考えるのが適切なのです。というわけで、今回ベートーヴェンを「ロマン派」として登場させたいと思います。

ベートーヴェンは、ナポレオンがモスクワ遠征で大敗北を喫した1812年に、交響曲第7番を完成させました。最近、巷(ちまた)で大人気のあの「ベト7」ですね。この曲は、「酩酊(めいてい)者の作品」「リズムの権化(ごんげ)」などとも言われており、わたくしたち日本人にはなんとも苦手なリズムの難曲です。ここは、酔っ払った気分で開き直るしかないのではとも思いますが…。理性や感性を超越したいわば「野生」のロマンが存分に発揮された名曲なのです。

 【2️⃣民族主義の展開 ~後期ロマン派の拡がり~】

 交響詩「わが祖国」よりモルダウ/スメタナ(18241884 ボヘミア) 

前半でウイーンまで満喫しましたが、今度はやや北上してチェコのプラハを目指します。時代は19世紀後半に下ります。ロマン派の旅は、ついに西欧に抑圧されていた東欧諸国の民族意識の発露した素朴で情熱的な音楽に出合うことになります。「人間の自由な表現を重んずること」を目指したロマン派の流れは必然的にこれまで抑圧された民族の国民感情に火をつけることになります。長年ハプスブルク王朝に支配されてきた当時のボヘミアのスメタナは、真のチェコ人による音楽の確立を目指しました。彼が他国の支配下に苦しむ祖国を思い、燃えるような愛国の情熱を傾けて書き上げた曲が交響詩「わが祖国」6曲ですが、その第2曲目が「モルダウ」です。モルダウはドイツ語で、チェコ語では「ヴルタヴァ」と呼ばれ、チェコを代表するヴルタヴァ川の流れを、音楽で描写した作品です。

ウイーンの北西の奥深い山中に水源を発した川は第二の水源を併せ、ボヘミアの人の憂いと祈りを乗せて、絶えず波立って流れていきます。途中、森の狩猟の様子が描写されます。また、ポルカのリズムで婚礼の農民たちも踊っています。夜になると、柔らかな月の光の下、水の精の輪舞が幻想的に繰り広げられます。夜が明け、ますます豊かに波打つモルダウの流れは、けわしい山沿いに進み「聖ヨハネの急流」にさしかかります。そして平野に入ると、モルダウは川幅を広げ、いよいよチェコの都、プラハの街に入ります。モルダウのテーマは短調から長調に変わり、テンポもやや速くなり、古い都を、希望に満ち溢れた様子で堂々と流れていきます。やがて岸辺には、かつてボヘミア王家が住んだ高いお城、「ヴィシェラード」が現れてきます。「わが祖国」1曲目「ヴィシェラード」から取られた壮大なメロディは、「チェコに再び栄光の日々が現れる」という願いが込められているのです。その後モルダウは、ゆったりと流れながらエルベ川となってドイツ方面へ流れ去って行くのです。

大序曲「1812年」 Op.49 /チャイコフスキー(18401893 ロシア) 

ロマン派の旅の最後は、チェコからさらに東へ進み、モスクワへとやってきました。さあ、後期ロマン派でロシア民謡を得意とするメロディ作曲家チャイコフスキーの登場です。本日は大序曲「1812年」を採り上げました。この曲は、その名のとおり、ナポレオンが大敗北を喫した1812年のロシア遠征の様子を生々しく描写したものです。

冒頭、あの強大無敵のナポレオン軍が攻めてくるというので、ロシア側は、不安の中でロシア正教の賛美歌を、祈りを込めてうたいます。これはチェロとヴィオラの6声部で担当します(第一主題)。しかし、不安は鎮まることなく、いやがうえにも増してきます。すると4分の4拍子に転じ、ロシア軍が迎撃をするために軍鼓(ぐんこ)の第ニ主題でリズミカルに出兵していきます(オーボエ、クラリネット、ホルン)。いよいよ決戦の火ぶたが切って落とされました。ナポレオン軍優勢のときはあのマルセイエーズが聞こえてきます。なまなましい戦闘の裏では、兵士の無事を祈るかのような民衆のロシア民謡が美しいメロディでヴァイオリン、ヴィオラで歌いだされます。ふとわれに返ると、いまだ激戦の真っ最中です。しかし、あれほど優勢だったマルセイエーズはだんだん崩れ去り、ロシアの勝利を確信させる下降音型のモチーフが延々と続いた後、最初と同じラルゴで第一主題の賛美歌が歓喜のうちに強奏され、祝福の鐘が乱打され、祝砲がとどろきます。軍鼓の第二主題がアレグロ・ヴィヴァーチェとなって勇ましく響く中、勝利のロシア国歌が高らかにうたわれて、荘厳豪華なこの大序曲を終わります。

 如何でしたでしょうか。

今回は「ロマン派の旅~北イタリア発ウイーン経由モスクワへ~」と題して音楽旅を進めてきました。これをきっかけに皆さんがより深く音楽へ関わりをもっていただけるとしたら、こんなにうれしことはありません。お読みいただきありがとうございました。

                                                         獅子鷹

 

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“福島”か“FUKUSHIMA”か?

今日のNHKラジオで、あるミュージシャンがこんな趣旨の発言をしていた。

「福島を表現するとき、“福島”では、地震・津波・放射能でダメージを受けた特定の場所の意味にとどまってしまう。わたしは“FUKUSHIMA”と表現したい。こう表現することで、福島の人々や地域の痛みの共有や復興への思いだけでなく、“HIROSHIMA”同様、二度とこのような過ちをおかしてはならないというメッセージとして世界に発信するという意味を込めている...」

基本的に賛成である。

“このような過ち”とは、単に、想定外(この言葉、免罪符として乱発されていないか)の地震・津波で、あの甚大な放射能汚染を引き起こし、美しい福島を死の土地(風評被害を煽っているのでは全くない!)をにしてしまったからだけではない。本質的には、原子力発電を推進してきた行政のあり方・エネルギー政策さらにはグローバル経済に完全に組み込まれている経済のあり方や日本という国の方向性まで突き詰めて考えよ、というメッセージになりうると私は思う。このようなメッセージを、象徴的に“FUKUSHIMA”という横文字に込めて、持続的にしかも世界に伝えるということは、恥ずかしいとも言えるくらいもたもたしている政府の尻をたたくという意味でも大事だと思う。

しかし、である。たとえば、先ほど福島を“死の土地”と表現したが、福島で復興に取り組んで、日々生き抜いている方々にとっては、とんでもない!と叱られるであろう。ことほど左様に、象徴的に“FUKUSHIMA”といってしまうと、現場の血や汗と遊離して、観念だけで、物事が先鋭的に把握されるおそれもあるのである。つまり、悪気はないのに“死の土地”という言葉が独り歩きし、結果として、福島の方々の微妙繊細な思いを踏みにじる結果を生じることも出てくる。

こう考えると、いろいろな思いを込めた象徴的・理想的な“FUKUSHIMA”は、確かに大事ではあるが、その先には、やはり、日々、そのとき、その場所で福島を精一杯生きるなま身の生活に思いをいたす実体的・現実的な“福島”に還相回向することが一番大事であると思う。

理想を求め“FUKUSHIMA”という大空に飛び立った飛行機は、いずれ、母なる大地“福島”へ帰還するのである。まかり間違っても宇宙へ飛び出したり、墜落してはなるまい。

“福島”即是“FUKUSHIMA”

“FUKUSHIMA”即是“福島”

獅子鷹

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慧玄さん曰く「請う其の本を努めよ」

昨日、東京国立博物館で開催されている妙心寺の特別展を観に行った。開山の無相大師関山慧玄(かんざんえげん)の没後650年を2年後に控え、これに因んでのものである。

私は慧玄さん(親しみを込めてさん付けで呼ばせてもらう)が大好きである。

慧玄さんは私の同郷信州の出で、鎌倉から南北朝にかけての臨済宗の禅僧である。30歳で鎌倉建長寺で南浦紹明(大応国師)に師事。師示寂後、建長寺における開山蘭渓道隆五十年忌出席中、京都に傑物在ると聞くや否や京都大徳寺に向かい、宗峰妙超(大燈国師)に参禅する。そして53歳で開悟し、宗峰がこれを印可証明して関山の号が与えられ、慧玄と改名した。

もう悟りを開いたのだから、慧玄さんは自由である。悟後の修行に美濃伊深の里に草庵を結んで隠棲していた(現在の岐阜県美濃加茂市。この場所には現在正眼寺という道場があり、巨人軍の川上哲治監督もここで坐禅修行をしている)。この間、慧玄さんは昼間は近くの農家のお手伝いや草履買いなどの御用聞き、夜は山中での坐禅三昧の日々を送っていた。

一方、都では花園上皇が離宮を禅苑に改めてその寺名命名と開山となる禅僧の推薦を宗峰に依頼。宗峰がまな弟子の慧玄さんを推挙したのだ。

さあ、大変だ。美濃の山奥に、都からのきらびやかな勅使がやってきた。里の人はたまげた。草履買いなどで重宝していたあの人のいいおっさんは、実はどえらい人だったんだあ。

慧玄さんは最初は都行きを固辞したが、やはり勅命にはかなわない。都からのお迎えの日、敬愛する里の人が別れを惜しむかのようにいつまでもついてきた。でもいつまでもついていくわけにいかない。この場所を「関」として最後の別れをした。(この場所が現在の岐阜県関市である)

心ならずも都に召し出だされて、妙心寺の開山となった慧玄さんは、形式に拘らず厳しく弟子を指導し、妙心寺の伽藍整備や経営に拘泥することはなかったという。また、ふらっと、行脚修行にでかけて花園上皇に呼び戻されるなどもしたようである。

あるとき、慧玄さんは旅の支度をして二祖授翁に行脚に出るといい、「風水泉」と称する井戸の辺で授翁に遺戒し、立ったまま息をひきとった。時に84歳である。

さて、妙心寺特別展である。

入り口に慧玄さんの坐像が安置されていた。江戸時代300年忌時の制作である。そのまっすぐな視線、謹厳実直でいて、なにか温かみを感じる雰囲気。慧玄さんがそこにいるかのようでなにか懐かしい感じがした。大好きな慧玄さん。。慧玄さんのような懐の深い人になりたい。

あとは、慧玄さんの着ていたというボロボロの袈裟や質素な頭陀袋をみたり、昨日から展示が始まった国宝「瓢鯰図(すべすべの瓢箪でぬるぬるの鯰をどうやって捕らえるかという禅の公案に因む)」の人だかりを遠目にみて、早々に退散した。

私にとっては、臨済禅の法灯を現在に伝える種々の展示物より、慧玄さんの「目指しているもの」がたとえわずかでもそこここに横溢しているのを見届けたかっただけかもしれない。

慧玄さんは語録だの書物だのは一切残さなかったが、数少ない言葉※として「請うその本を努めよ」が残っている。これこそ慧玄さんの「目指しているもの」そのものである。心ある人はぜひ参究していただきたい。

「慧玄が這裏(しゃり)に生死なし」「柏樹子(はくじゅし)の話に賊機あり」もある。

獅子鷹

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今年の漢字は「変」

恒例の1年の世相を漢字1文字で表す2008年「今年の漢字」が「変」と決まったそうである。なんでも「change(変革)」を訴えたオバマ氏が次期米大統領に選ばれたことや、日本の首相がせわしなく短期間で交代したことなどのほか、サブプライムローン問題に端を発した世界経済の大変動などが理由だそうである。

「変革」への渇望、「変化」疲れ、「変てこりん」な世相といったところか。

でも、昨年の「偽」のようにストレートに納得するインパクトが足りないようにも思う。なんというか、「変」は実はいつでも身近にあるようなあたりまえの事態だからか。そう物事は常に「変わって」いるのである。

ご承知のように、ものはすべて振動している。今年のノーベル賞受賞理論「対称性の破れ」により誕生したとされる宇宙内にあって、動いているものは動いているし、静止しているものの実は振動しているという意味で動いている。場合によっては、化学変化を起こしたり核分裂を起こしたりと大変である。つまり、すべてのものは変化してやまないのある。

ものの変種?である人間とて例外ではない。そもそも生まれて死ぬ。その間成長期もあるが、老いたり、病んだりとなにかと忙しい。細胞も日々刻々と生滅を繰り返す。アンチエージングなることばがあるが、これほど人間の願望に訴えることばもない。不老長寿は不可能だからこそ憧れとなる。だが、今年の漢字「変」を前にして脆くも崩れ去るしかないのですねえ。

その人間のこころ・意識もおして知るべし。なにしろ「ころころ」と変化しまくるのが「こころ」の語源すからねえ。

獅子鷹

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出雲大社に詣でる3

本殿前で一通りの説明を受けた後、改めてざっと内部を覗き込む。八雲の天井絵は正面の蔀(立ち入り禁止線)から身を乗り出さないとよく見えないので、寝そべったり、倒れこみそうになる人もいた。それより気になるのは、大黒柱右奥の御神座である。もっとも、本殿正面からは中央の大黒柱と右側の側柱を結ぶ板仕切りによって直接は見えないようになっている。蔀の最左端からわずかに空間の一部が覗けるのみである。

まあ、主は仮殿へ引っ越したのだから、霊界の盟主の気配はなく、もぬけの殻という印象であった。ほんとうになにもいなかった。(だから、俗人が入れるのだが。)

ということは、普段はやはり大国主命が「いる」のだろうか。そう「いる」のである。八百万の国日本では、古くから自然や森羅万象に神が宿ると信じている。水に水神、風に風神、木に木霊といった具合に目に見えるものにはそれを成り立たせる「何か見えないもの」がはたらいており、これを「神」というのだ。しかし、何かが見えるやいなや、神はお隠れになる運命にある。日本人には、この直観が腑に落ちるのである。

だから、大国主命=神はお隠れになっていてけっして見ることはできないが同時に「いる(観るのである)」ということになる。目に見える日本国が天皇を戴いて存続できるのは、目に見えない霊界の神の親分たる彼のお陰である。ということか。

蛇足だが、国名「日本」はなかなかに本質的な名称だ。何せ、「日、太陽」=天照、「本、根源」=大黒で、「日即是本」ということになる。これで一切を表しきっているといえる。

そんなことをつらつら考えつつ、階段をよろけながら降り、なんだかボーっとしながら八足門を出た。そうだ。もう空腹に耐えられない。はやく荒木屋の出雲そばを戴こう。銘酒「八千矛」を入手しよう。なーにこれも、大黒様の思し召しにちがいない。

獅子鷹

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出雲大社に詣でる2

バス停横の鳥居から本殿や拝殿(今は仮本殿として大国主命が仮住まい中)のある境内「荒垣」まで約数百メートルあり、参道が木立の中をなだらかに下りながら一直線に伸びている。まるで、荒垣に吸い寄せられるようにただひたすら歩く。すると、目指す本殿特別拝観の行列が荒垣正門の外まで50メートルほどはみ出しているのが見える。この列の最後尾に並んだのが、8:30過ぎ。P5130019

この日の拝観開始は9:30からであるが、もう前倒しで受付は始まっているようだった。並ぶや否や、ホッとしたのか眠気・空腹・頸痛が復活。加えて、雨が降り始めた。しかも小雨が降っては薄日が差すという不安定な天気。「大黒様」もちとご機嫌ななめか。(アパート仮住まい中に、改築中の我が家を他人に覗かれるなんていやだもんなあ。でもそこは霊界の盟主。喜んで受け入れてくれるだろう)P5130020

列は1時間ほどで本殿前へ進み、本殿前の八足門脇の受付テントで記帳を済ませて「御本殿特別拝観之証」なる券片を受け取り、いよいよ通常は天皇陛下も入場を許されない本殿へ。(ここから先は撮影禁止)

八足門の中で靴をぬぎ、真新しい白木が敷き詰められた通路を進み、急な勾配の階段を上ると、本殿が眼前にぬっと現れた。ぐるりと建屋を取り囲む縁側を南から反時計回りにゆっくり進み、最後に南面の正面前でお宮の人のお話をききながら、内部を覗き込む。

「右奥の仕切り奥が大国主命の御神座です。今は留守中です。ちょうど真ん中の柱が直径1.1メートルの「心中柱」です。まさに「大黒柱」です。天井に描かれているのが有名な「八雲之図」です。1744年の造営遷宮の際に描かれました。八雲なのに七つしか雲はありません。理由ははっきり分かっていません。一説では、近くの神社に九つの雲があり、ここの雲が飛んでいったとも言われています・・・」

(つづく)

獅子鷹

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出雲大社に詣でる

P5130016_3 先日、思い立って出雲大社に詣でた。出雲大社では、今年から平成25年にかけて、60年に一度の国宝本殿の屋根の葺き替えなどの改修を行っており、先月4月20日には祭神の大国主命(大黒様)を仮殿へ移す「仮殿遷座祭」が行われ、主が留守になった本殿を拝観できるため、ちょっと興味を引かれたのである。

出雲大社は一生に一度は行ってみたいと思っていたし、60年に一度の本殿拝観のチャンス(40代の私にとって今後事実上もう無い)という俗っぽい興味もあった。また、割子の出雲そばや地酒などに舌鼓をうちたいという本来!?の目的もあった。

大丸地下で「すし鉄」の鉄火巻きを買い、夜7時すぎに東京八重洲でスサノウ号という夜行バスに乗り、揺られること12時間。翌朝7時すぎに出雲市駅前に到着。朝飯も食べず、睡眠不足を取り戻す仮眠もせず、寝違えて痛めた頸をさすりながら、すぐに、大社行きの畑電バスに乗り換えた。目的は単純明快。本殿特別拝観の列に早く並ぶこと!!

バスは通学時間帯と重なり、多くの参拝客のほかに女子高生が多く乗り込んできて、私の隣にも座った。高齢の方も多い参拝客の高揚したざわめきある雰囲気とは対照的に、彼女たちは、試験勉強であろうか、なにやら静かに真剣にノートに見入っている。何気に目をやると、「デモクリトスの主張は」「善のイデアとは何か」「ニコマコス倫理学とは何か」などの文字が躍っている。思わず「がんばって」と心の中で応援していた。と同時に、西洋哲学の起源のギリシャ哲学を学ぶ彼女たちの生まれ育った地に「出雲神話」があることを羨ましくも思った。先に国土を形成して「国つ神」となり、後に「天つ神」の天照大神に国を譲った大国主命は、目に見える存在の盟主となった天照(天皇の先祖)に対して、目に見えない霊界の盟主となり、生死一如で日本国を支えているというのだ。「千と千尋の神隠し」はまさにこのことがテーマ。目に見える世界では「千尋」という個別の名前をもった少女は、新興住宅街のはずれのテーマパークのトンネル(この世と霊界との境界)をくぐり、「千」となる。すなわち、名前を奪われる(千=たくさん、八百万の世界)ことになる。

彼女たちは大社直前のバス停で整然と降りていった。

程なく、巨大なコンクリート製鳥居が現れて、まっすぐに北に伸びる門前町にはいり、一畑電車の駅を横に見てさらに進むと、樹木に覆われた神域が忽然と現れ、俗界と分かつように鳥居が立っていた。ここでバスを降り、鳥居の前に立った。バスの中では眠気と空腹と頸痛に苛まれていたのだが、なぜかすべて止んだ。

覚醒した目で鳥居の奥を凝視する。はるかかなたの正面に、本殿が陽炎のように見えた。

次の瞬間、足取りも軽く、本殿を目指していた。

獅子鷹(つづく)

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今年の漢字は「偽」

2007年の世相を表す「今年の漢字」に「偽」が選ばれた。老舗ブランドの相次ぐ原材料偽装、賞味期限偽装などの発覚や泥沼の年金問題などが理由という。庶民的には至極納得のいく結論ではある。しかし、よくよく考えてみると、あの雪印事件だって同じ偽装事件である。今年発覚した企業も知らぬわけがあるまい。本来ならいつでも襟を正せたわけである。「他山の石」という教訓は絵空事ということか。これでは、「悪いことをしてもばれなければいい」というのが人間の常識ということになる。。そしてばれたら「悪いやつだ、許せん!」「す、すいません」そして、沈静化したら、またぞろ。。

とはいえ、悪いことはしていないという人ももちろんいる。「悪いやつだ、許せん!」と多くの人が思う。多数派であろう。正しいことをしていればOKで悪いことをしたらNGということか。では「正しい」とか「よい」とはどんなことか。「悪い」とはどんなことか。皆さん、答えられますか?

そもそも「偽」という字は「人」が「為す」あるいは「人」の「為に」と分解できる。なんと、人が「ために為す」ことはすべて「偽」というのである。したがって、「よい」と思ってしたことも、「悪い」と思ってしたこともすべて「偽」!!「よい」と思ってしたこともなんで「偽」なのか。これはいったいどういうことか。

「為」の意味を広辞苑で引くと、①利益、幸福②目的・・とある。人間生きていくために、これらは通常欠かせない。しかし、これらの「現世の利」目当てに為す行動は「偽」というのである。つまり「有為」の行動は「偽」。なんという洞察力。日本の漢字は本当に味わい深い。

ではどうしたらよいか。

ロジカルには、有為の反対「無為」。宗教的には善悪の彼岸。つまり現世的な「利」なるものを求めないということになる。ちょっと思いついただけでも、有為の利には「権利」「便利」「金利」などたくさん出てくる。現代はこれらの利の追求は「善」となっているのだ。しかし、これらは「偽物」と喝破されているのである。この意味を洞察することから、「ほんとうのこと」が明らかになってくるのである。

では偽物でない本物の利は・・・これを「冥利」という。最近は「求めない」という信州伊那谷の老子さんの本も話題になっている。

今回揮毫した京都清水寺の森貫主は「己の利ばかりを望むのではなく、分を知り、自分の心を律する気持ちを取り戻してほしい」と話されたとのこと。

つまり、「己の利」=有為の利ばかりではなく、「分(自然の分身たる自分)」=無為の利を知り、これに基づき「自分の心」を律せよ。

至極まっとうな言葉である。

獅子鷹

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龍安寺の石庭の意味とは?(その4)

「大海原」=「無機物=物質」

「15の石」=「有機物=生命体」

と構造化できないだろうか。ということだった。

これまで出てきた事項を簡単にまとめてみよう。

①「大海原」=「無機物=物質」   ⇔ 「さとり」「空」「存在」

      ↑                 ↑

        【相対立/矛盾する関係】

      ↓                 ↓

②「15の石」=「有機物=生命体」 ⇔ 「まよい」「煩悩」

②が、人間が通常おかれている事態である。なんの変哲もない。ところが、「人間とは何か」「存在とはなにか」「生きる意味は」と問い始めた人は、うまくいくと①の世界に到達する。すると、物質である脳・からだのはたらきとして生命現象/こころが、存在のただなかかからまよえる「存在者」が、矛盾を孕みながら現出してくることが分かってくる。②は①という実相があって初めて、現象できる「はたらき」なのである。ここまで納得できれば、あとは一直線。

「空即是色」である。

大手を振って、この娑婆世界を「主人公」として闊歩できるというものである。①の世界を体得したのであるから、堂々と②へ戻ってくればよい。この宇宙、銀河系内にあって生きていること自体がまさに「神秘」であり「奇跡」であることを石は語りかけているのである。怒涛の波、足許のコケの解体力に抗い、健気に生きたいものである。

「龍安寺の庭石が新しくなった。全面的に入れ替わったわけではない。きれいに洗われ、石の表面がはっきりとみえるようになった。洗ったのは、石が崩れはじめており、それを補修するためであった。思えば不思議なことだ。長い間、白砂に配された15石は同じように薄黒く、だれもが石一つひとつの表情など問うものはなかった。・・」(小学館ウイークリーブック 日本庭園をゆく 2 より)

いけない、いけない。石はエントロピー増大の法則にしたがい、崩れてしまう。石は同じように薄黒くなり、足もとの海原へ還元されてしまうではないか。日々石(自分の命)を磨こう。さとりの世界にとどまっていてはいけない。もうすべての真実が明らかになったのだ。なにも迷うことはない。命のかぎり、生命力を躍動させよう。進んで迷おう。

「水月の道場に坐し(色即是空)、空華の万行を修す(空即是色)」

人生に意味がないなど、断じて、ない。

獅子鷹

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龍安寺の石庭の意味とは?(その3)

この地球上で「一生懸命生きる」ことは「煩悩であり、幻想なので」意味はないと言い切る人も有名な仏教学者などにもいる。「人生はもともと意味などないのだ」と。

ほんとうに、そうなのだろうか。

「物質(マテリアル)」は、実に多様な意味を含む概念である。マクロでは「もの」「自然」「宇宙」「森羅万象」などと言い換えることもできる。ミクロでは、「素粒子の離散集合」とでもいうのだろうか。一般的には、「熱力学第二法則」にしたがい、閉じた系であれば系内の物質のエントロピー(乱雑さ)は増大する。すなわち、形あるものは崩壊し、濃度の差異があれば最終的には混ざり合い均一化する方向に物事は進行する。(宇宙は閉じた系か?膨張しつづけるか、いずれ収縮に転ずるか?といった議論は措く)

ところが、わが地球には「生命体」なるものが存在する。人を含む動物・植物・微生物・ウイルスなど有機物である「生命体」は何の因果か、エントロピー増大に抗い、DNAを持ち、DNAによる自己複製・動的平衡によりエントロピーが平衡を保つように振舞うという。ところが、生命体もからだという「物質」を有するのだから、自己崩壊という矛盾を内包しつつ生命を維持していることになる。生命体は日々・刹那に細胞レベルで新陳代謝を繰り返しながら老化をたどり、やがて個体としては死を迎えるが、DNAにより種は再生されるのである。

このことは、有機物である「生命体」と無機物である物質が対立関係にあるということができないだろうか。これは、何を意味するのだろうか。

ここで、石庭にもどる。

上述は、

「大海原」=「無機物=物質」

「15の石」=「有機物=生命体」


と構造化できないだろうか。 (つづく)

獅子鷹

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