チャイコフスキー バレエ組曲「眠れる森の美女」Op.66a
「このバレエ音楽は私の最良の作品の一つだと思っています。主題はとても詩情にあふれ、作曲しているあいだとても興奮しました・・。」
チャイコフスキーは、パトロンのフォン・メック夫人宛の書簡中で、1888年末~89年春にかけて猛烈な勢いで作曲した、バレエ音楽「眠れる森の美女」について高揚した筆致でこう書き綴っています。
”素敵な王子のキスにより100年の眠りから目覚めたオーロラ姫はめでたく王子と結ばれる”
この、ハッピーエンドを絵に描いたようなシャルル・ペロー原作のおとぎ話に基づくバレエ音楽は、1890年ペテルブルクのマリンスキー劇場で初演されました。その評価やいかに!?というのも、チャイコフスキーは最初のバレエ音楽「白鳥の湖」を1876年に作曲し、世に問いましたが、まったく受け入れられずに失敗に終わっていたからです。
なぜか。
実は、当時のバレエといえば、美しく舞うきれいな女の人を見に行くだけの娯楽。音楽といえば単なる伴奏で、“適当にあちこちから寄せ集めただけのうすっぺらいもの”という認識が一般的。そこにチャイコフスキーはシンフォニックで重厚多彩な音楽を持ち込んだものですから、観衆は目(耳?)が点になり、「白鳥の湖」は理解されずに打ち捨てられていたのでした。
捲土重来、今度こそはと世に問うた「眠れる森の美女」。賛否両論があったものの、ようやく好意的に受け入れられたようでした。チャイコフスキーに作曲を持ちかけたマリンスキー劇場監督のフセヴォロシスキーは大成功とみなし、そのシーズンの興行の約半分を「眠れる森の美女」に充てました。さらにフセヴォロシスキーは「くるみ割り人形」を次の作品としてチャイコフスキーに注文を入れ、ここに「チャイコフスキー3大バレエ」が姿を現すことになります。なお、不遇をかこっていた「白鳥の湖」も1895年に復興上演され、今ではバレエ音楽至上最高作とまでいわれる超人気曲となっています。
バレエ音楽を単なる”バレエの太鼓もち”から芸術の地位まで進化させたチャイコフスキーでしたが、この明るさに満ち溢れた「眠れる森の美女」(チャイコフスキーの作品にしては珍しく陰鬱さがみられない)を純粋に音楽的にも気に入っていましたので、コンサート用に何曲かをチョイスし、組曲を交響的作品として発表することを企図しました。そして、作曲家自身が決めると盲目になることをおそれたチャイコフスキーは、信頼できるジロティという人にこれを委任しましたが、ジロティ案のメモ用紙を紛失してしまいました。そのため、未解決のまま先送りされることになります。その後組曲のチョイスをめぐって様々なゴタゴタがあった末、この問題が解決したのは、チャイコフスキーの死後のことになります。ようやくジロティと出版社が合意し、このバレエ組曲「眠れる森の美女」が日の目を見ることになったのでした。聴く人ををしばしのおとぎ話にいざなうこの組曲は以下の5曲です。
・Ⅰ. 序奏 リラの精
・Ⅱ. アダージョ パ・ダクション(第1幕から、いわゆる「バラのアダージョ」)
・Ⅲ. パ・ド・カラクテール(長靴をはいた猫と白い猫)
・Ⅳ. パノラマ
・Ⅴ. ワルツ(第1幕)
獅子鷹
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