シューマン 交響曲第3番変ホ長調「ライン」Op.97
この世には大別して“現実主義”の人と“理想主義”の人がいます。実際には両者が同居していて、行きつ戻りつうろうろしているのがふつうの人間のあり方ですが、ロベルト・シューマンは完全に“理想主義”を生涯にわたって貫いた人でした。理想は、ある意味現実を超えたユートピアであり、理想主義は、理屈より感性、目に見える現実より目に見えないファンタジーを貴ぶ当時西欧で盛んだったロマン主義に合致します。シューマンはまさにロマン主義を音楽で体現した人でした。
ロマン派の巨匠シューマンが1830年に20歳になって法律家ではなく音楽家を目指すことを決意した時、母親に訴えた、なりたい職種のリストは①指揮者、②音楽教師、③名ピアニスト、④作曲家の順でした。つまり、音楽家として成功するとすればこの順番が成功の指標となり、なりたい優先順位だというのです。しかし、それから10年以上経った脂の乗り切った30歳台後半にさしかかった頃になると、①~③は、適性がなかったり、指を壊したりで大成するどころか、挫折を味わっています。つまり、音楽家としてなりたかった上位の職種は実現できず、一番優先順位が低かった④作曲家にかろうじてなれたというわけです。(因みに、シューマンは①~④をすべて一流レベルで達成した1歳年上のメンデルスゾーンをある意味尊敬し、生涯暖かい眼差しで見守りました)
人は現実と理想との間にギャップがあればこのギャップを埋めるべく努力なり精進をしていきます。このギャップが大きく複雑なほど、また達成不可能であるほど、これを乗り越える努力は困難なものとなり、その達成への取組みはより質の高いものになります。
シューマンの場合、なりたい職種で一流をなすことはできませんでしたが、そのギャップを埋める努力の過程や挫折は(いや、むしろ挫折によって“理想”の偉大さを自覚したからこそ!!)、かならずや、一流に到達した“作曲”におけるロマン主義の音楽の質的深化や陰影に貢献することになるでしょう。
そして、作曲家シューマンは、こと作曲に関してはその種のギャップに悩むことなく、理想となるロマン主義音楽を難なく具現化したのです(なお、作曲技法は自己流であり、正統派とはギャップがあり、オーケストレーションに難がある等と取りざたされましたが、これとて現在はシューマン一流のロマン主義(=理想主義)の発露とみなされています)
1850年、“不惑”の40歳に達した作曲家シューマンは、ドレスデンからライン河の流れに沿ったデュッセルドルフの管弦楽団・合唱団の音楽監督に招かれます(もちろん、前述のように、この仕事は不調に終わります...)。この時期、シューマンの、最後は発狂へと至る精神病はだいぶ昂進していたようですが、風光明媚な、ローレライ等、歌と伝説に育まれたライン河の詩情に触発されて、彼の最後の交響曲をたった2か月で書き上げました(1850年11月~12月)。これが、交響曲第3番「ライン」です。(交響曲第4番は、これより先に作曲されています)
なお、各章は、それぞれ、第1楽章(ローレライ)、第2楽章(コブレンツからボン)、第3楽章(ボンからケルン)、第4楽章(ケルンの大聖堂における枢機卿の就任式)、第5楽章(デュッセルドルフのカーニヴァル)と関係が深いといわれています。
第1楽章 生き生きと(Lebhaft)変ホ長調。3/4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 スケルツォ きわめて中庸に(Sehr mäßig)ハ長調。3/4拍子。
第3楽章 速くなく(Nicht schnell)変イ長調。4/4拍子。
第4楽章 荘厳に(Feierlich)楽譜の調記号は変ホ長調だが、実際の響きは変ホ短調。4/4拍子。
第5楽章 フィナーレ 生き生きと(Lebhaft)変ホ長調。2/2拍子。
獅子鷹
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